最終話まで視聴。
感想は大方と同じ、ちょっと詰めすぎかなぁというところ。
尺の問題を差し引いても後半に行くほどしっくりこなかったのは、ちょっとキャラクターの描写を飛ばしすぎたためかなぁ、など。
背景美術やレイアウトに思うところもあるのだけれど、まとまらないので取り急ぎここまで。
劇場にて鑑賞。
カリカチュアされた第二次大戦中の各国軍隊の行動様式は、各学校の定形として存在して、それから逸脱してきたのが劇場版なのだろうと思っていた。あまりに歴史から独立してキャラクターたちが振る舞うと、戦争の模倣を行うことによる祭事のような性質が失われてしまうのではないかと推測していた。
だから、大洗が西住みほを中心としたチームから変化するというのは、例えば歴史的な出来事をモチーフにした祭りの筋書きを全く別のものにしてしまうようなものだ。西住みほは、カリカチュアされた歴史と我々の接続点だったはずで、戦車道という祭事を取り仕切る彼女が唯一無二の主役でなくなった今、この物語は何処へ向かっているのだろうか。
何の話をしているんだおれは。
いまさら劇場で視聴。
おおよその内容は噂で聴いていたし、漫画も読んでいたので普通に面白かったなというところ。
広いターゲットにウケたというのはもちろん知っていたけれど、それは鬼滅の内容が広いターゲットに向いているというより、元々のポテンシャルと時勢が噛み合ったものと思ってた。実際に見てみると結構クサいというか、演出がTVシリーズよりクドめでこれはそこそこ狙っていたのかなとは思った。
dアニメストアにて視聴。
地方の小さな港町を舞台に、東京=異界として異邦人である人魚のルーとの交流を経て外部との関わり、あるいは断絶の末に各々将来を見つける、というようなお話。
アニメーションのクオリティは文句なしに高いので、ぐにゃぐにゃ系湯浅アニメに抵抗がなければおすすめ。
ストーリーを細かく追えば繋がっていない部分も多い。アニメーションと音楽の力で物語の障壁を強引に乗り越えるという部分では宮崎アニメの系譜にあり、物語の山場ではまさしく力づくで乗り越えられている。
これは物語としての良さではなく、映画として優れているということだろう。映像の快楽に忠実な、娯楽作品なのだろう。
1巻丸々でひとつの事件を追う、メモリによる能力バトル×探偵モノの面白さが詰まった巻。
元々テレビドラマでもガイアメモリと個人のドラマの連動が優れていたけれど、尺としては1時間ドラマ2本分くらいのボリュームがある贅沢な構成なのでキャラクター全員のドラマが拾われていて、かつ仮面という共通モチーフに繋がっているために大きなワンエピソードとしてのまとまりがいい。
このまとまりがいいというのは、ひとつの事象に対して複数のドラマが展開されるけれど、主人公視点でひとつながりの出来事として理解されるという「誰かの視点からの物語的理解」が成立しているということで(本作でいえば翔太郎が締めくくっているように)、読者のドラマ的なわかりやすさを求める心理に複雑な推理と絡み合うドラマを経由しながら応えている点が、この作品やあるいは推理モノの醍醐味なのだろうかと思う。
YOUTUBEチャンネル登録100万人記念だそうで、メインのPVあり曲(シングルみたいな扱いだろうか)とは異なるお祭り的要素の強い特別編。
内容の考察はおいておいて、これまでのずとまよを総括して思うのはターゲットの設定がかなりはっきりしているという点だろうか。
「潜潜話」ではティーンをターゲットにしていた。アレンジは比較的曲のジャンルを絞りつつ、じれったい10代をややアイロニカルに描いていた。
「地下の階段TAMURO 嫌いの共感会議 (居眠り遠征隊)」
2枚目のフルアルバム「ぐされ」ではぐっと世代を押し上げ、アレンジも一気に幅広いものとなった。商業音楽における競争さえ示唆するような歌詞もあり、自らの立ち位置に自覚的なのだろうか。
「幸せを壊し合ってゆくことにどう 折り合いをつけていけばいいんだろう (繰り返す収奪)」
次に出る曲はどんなものだろうかとときどき想像する。個人的な予想では、独自のサウンドスタイルの洗練と、ポップでありながら実験的な曲構成の追求だろうか。